“祖国なき独立戦争”を楽しむために

シリーズ10作目の鴻上さんのエッセイ。SPA!に連載されていて、単行本は1年に1冊のペースで出ているので、もう10年も連載が続いているのか(ちなみにSPA!の連載のほうは読んだことないっす)。1巻を読んだ頃はまだ大学1年生で、それ以来毎年欠かさず、新刊が出るたびに買っているということになるなあ。
今回の新刊でほほう、と思ったのは

新聞で、空港でのトラブルが激増しているという特集がありました。ボディーチェックに怒って乗客が職員を蹴り上げたとか、飛行機にタッチの差で間に合わなかったことに怒った女性が係員を平手打ちしたとか、小さなトラブルが激増しているそうです。
空港側が、毅然とした態度で警察に通報すると、キレた乗客達は、深く反省するんだそうです。
駅員に対する暴力が増えているという記事もありました。
(中略)
なにか、ぶつかる対象を求めているような気がしてしょうがないのです。かといって、憎しみが蓄積しているのではなく、ただ余裕がなくなって、不機嫌が集まっているだけのような気がします。空港でキレた人が、警官の前で深く反省するのは、分かる気がします。不機嫌は一度爆発すると納まるのです。
話をでかくしてはいけないのですが、この余裕のなさと不機嫌が、どうもこの国をおおっているような気がしてしかたがないのです。

引用が長くてすみません。
鴻上さんは、つくづく時代の空気を言葉にするのが上手だなあ、と思うのです。いや、そりゃあモノを書いて食べている人なのでそんなことを言うのは全く持って失礼極まりないことだというのは分かっているのですけど。
鴻上さんの言う「余裕のなさと不機嫌」という言葉は、例えば鳥インフルエンザ事件の時の報道や、尼崎の列車脱線事故の報道、それでなくても日々報道される医療事故や企業の不祥事、それに対する僕たち国民の反応をたった一言で言い表しているような気がするのです。
尼崎の列車脱線事故のあと、JR西日本の職員に対する嫌がらせ、マスコミからの暴言などが明らかになりました。被害者でもない一般人が、JR西日本に対して悪態をついている。それに対して僕はなんだか言葉にできないイヤな感じを持っていたのですが、結局、その嫌がらせや暴言は、マスコミを含めた僕たちこの国の住民が「ぶつかる対象を求めて」いて、たまたまそこにJR西日本という獲物を見つけたからそこに群がっただけなのではないのでしょうか。そしてその群がっている様子になんだか「イヤな感じ」を持ったのは僕だけではないと思うのですが。
実際、JR西日本の記者会見で暴言を吐いた記者は処分され、それ以降だんだんマスコミ、そして僕たち一般人は、この事故に対する興味をどんどんなくしているような気がします。それこそ鴻上さんの言う「不機嫌は一度爆発すると納まるのです」という状態ではないのかなあ。(ちなみにこの文章を鴻上さんは2003年の末に書いてるんですね。時代の空気を言葉にするだけでなく、素早く感じ取るのも上手だなあ、と感動してしまうのですよ)
とか何とか思いながら、一気に読み切ってしまいました。いや、面白く読めましたよ。なんていうか、鴻上さんの文章はえーと、のほほんとした感じなので布団で寝っ転がりながら読むのにちょうどいいんですよね(汗)。