先生のこと

唐突だが小学校1年生の時の担任の先生のことをしよう。
先生は確か40歳前後という年齢だった。僕が先生に教えてもらったのはその1年間だけだったが、明るくてさっぱりしたユーモアのある先生で、僕は放課後によく先生の所に行って遊んでもらっていた。2年生の時は隣のクラスの担任をしていたのだが、1学期の途中から突然先生は休職した。3学期になって久しぶりに学校に来た先生は僕らには「病気してたのよ」とだけ言っていた。まあ子供だったのでなんの病気かは分からなかったが、「点滴ってこんな太い針を刺すのよ」みたいな話をしてくれて元気に笑っていたのでてっきり僕は病気が治ったものだと思っていた。
そして僕は2年生の終わりに転校し、先生に会うことはなくなった。けれど、時々は先生宛に手紙を書いていたし、先生もきちんと返事を送ってくれたので、ちょっとした文通みたいになっていた。が、僕が小学校4年生の秋の日、突然先生の家族から一枚の白いはがきが届いた。そこには「召天いたしました」という文字が書かれていた。先生の病気は治ったのではなく、徐々に先生の体を蝕み、最後は先生の命を奪ってしまったのだった。母が先生の家に電話をし、先生が大腸癌を患っていたということを僕に教えてくれた。
先生が僕への手紙に「てんぽ。君も勉強がんばってね。先生もがんばっています」と書いていたのは、病気に対して頑張っているってことだったんだ・・・。それ以来僕は、自分が頑張ったことに対していい結果が出たときには、心の中で先生に報告するようになった。「先生、頑張ったらこんないい結果が出たよ」と。自分で言うのもおこがましいが、僕が曲がりなりに大学の受験勉強とかまじめにやってこれたのは、先生に対する恩返し的な気持ちがあったからかもしれない(僕が医者になった理由と先生の病気とは、実際には関連はないが)。
現在にいたって、大腸癌を自分が治療する立場になって、もし先生が病気になったのが20年前でなくて今だったら、と考えることがある。僕は先生を助けられるだろうか?残念だが僕にはその自信はない。癌という病気は、いくらいろいろな治療法が進歩したとはいえ、ステージ分類上の生存率の差というのは厳然としてあるし、手術したけれど手遅れでした、というケースは僕の知っているだけでも何例もある。結局手術で癌を治すには「早期発見」に尽きるのではないのか。先生の大腸癌が術後2年で先生の命を奪った、ということを考えると、やはり先生の場合大腸癌が見つかったのはかなり進行してからなのではないか?と推測してしまう。進行した癌を手術で(抗癌剤も併用しながらだが)治すというのは一種ばくちみたいなもんだな、と思う。そういう理由で僕は先生を助ける自信がないのである。

 
 
「オヤジギャル」生んだ漫画家・中尊寺ゆつこさん死去
時々彼女のマンガを見てにやりと笑っていた程度なのですが。。。40代、大腸癌というのを見て、先生のことを思い出したので書いてみました。まだまだやりたいことがあって、さぞ無念だったろうに、と思う。そして去年の夏からの闘病、と書かれているのをみて、発見された時点ではああいう状態で・・・と冷静に想像してしまう自分。やっぱり癌を治すには早期発見に限るなあ・・・(嘆)。ご冥福をお祈りします。